スリルとは少し違う感覚 の続き

昨日書いたモノについて追加で考えていたことを書く。

igawa9.hatenablog.com

 

 

以下のような思考に陥ることがよくあったし、今もある。

 

昨日

「筋肉にものすごく強い負荷をかける、とか、ダッシュをして心肺機能を限界まで追い込む、とか、運動して脱水症状ギリギリ(体調に異変が出るくらい)まで追い込む、とか、そういうことをよくやっていた。」

とか

「万引き」(「逮捕される」≒「死」)

などの行為をすることを書いていた。

 

これらをすることによって、以下のような確認をしている気がする。

1 生きているのか死んでいるのか、よく分からない。

  生命活動としては続いているのだろうけど、「生きている」感じがしない。

 

 →とりあえず、確かに生きているっぽいということを確認

 

2 もう死んだほうがマシなのではないか、と思う。

 

 →死んだほうがマシ、とか言ってるが、死をそんなに意識できていない。

  平常時よりも死に近い状態を体感したり意識したりすることによって、

  「本当に死んだほうがマシ」それとも「死なない方がいいかもしれない」

  どちらなのか確認

 

最近はこれらと万引きとを結びつけることはなくなったが、

運動などは相変わらず。。。

  

  

自傷行為に近いと思う。

自傷行為 - Wikipedia より引用↓↓

自傷と自殺の区別


自傷と自殺については厳密に異なる。自傷行為を自殺行為と誤解することは治療の妨げとなる(Lineham,1993a[要文献特定詳細情報]) とされている。

自殺が、意識を終わらせたい、苦痛から永遠に遠ざかりたいという動機から行われる[10]。自傷に多い、切るという方法は、自殺では1.4%の者しかとらない[10]。

自傷は、自傷者の多くが自己報告するように、心理的な苦痛を和らげ変化させるためであり、一方少数はロボットのような感情の空虚さが苦痛でありそこから逃れるためにであると報告する。自傷では、切る、火傷、殴る、頭をぶつける、タトゥー、ピアス、抜毛など、極端な事例を除けば死に至る可能性は低く、自殺とは異なり反復的に行われ、その部位も選択されている。そうではなく、より強く傷をつける場合には、行動のコントロールができなくなっていることを示唆し、自傷というよりは上述したself-mutilationである。

 

原因

悲しみや怒り、孤独感や劣等感などの感情により衝動を抑えきれない状態に陥った時、または呼吸困難、頭痛、吐き気など精神的ストレスによる症状が同時に襲ってきた時、それを抑えるために自らを傷つけてしまうと一般的にはいわれている。しかし、本人にとっては具体的に何が引き金となり自傷行為を行うかはたいてい不明である。自傷を行う者は「ただ強い衝動があった」などといったはっきりとしない妙な説明をしてしまうことが多く、中には自傷をしている時点で記憶や意識がない場合もある。これはいわゆる解離性障害であるとみられる。

目的は死に到るための自殺ではなく、孤独感や空虚感を紛らわすための「自己の再確認」や「ストレス解消」といった、生きる願望が屈折した形になって現れる行為である。しかし、自傷行為は生きたいための行動であるにもかかわらず、本人に自殺願望があることも多い。自傷行為は自殺を抑えるための役には立つが、自殺願望がある場合には、最終的に自殺をしてしまうこともあるとされる。しかし、自傷行為による事故死と自殺は判別がつきにくく、実際の様相ははっきりとは分かっていない。自傷行為は社会的には理解されにくく不可思議なものとみなされてしまうことが多い。しかし、本人の状態に対する危険信号としての理解が必要である。

また、医師は初め脳器質疾患を疑うこともあるが、それは念のための診断である。肉体を切るとエンドルフィンというホルモンが分泌され、精神的な苦痛が緩和されるのでそれを無意識的に期待して切る者もあるとも考えられている。だが、大抵本人はこの事は分かっていない。

 

 

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