愛着(アタッチメント)障害
最近知った。愛着(アタッチメント)障害というものがあるらしい。
人によって違うと思うが、
私の問題行動は、深く深く辿っていくと、
始まりは愛着(アタッチメント)の形成が適切に出来なかったこと
のような気がしている。
今の所は。
自分の今抱えている問題(窃盗症だけでなく)の過程や原因について、振り返って確認したり分析する機会が多々ある。
親から何もやってもらっていない訳ではない。しかし、私の方はきちんと愛情を感じることが出来ていなかったのだと思う。
・条件付きの愛情を受けていたり
・親の意向に合わない場合には、怒られたり殴られたり
いわゆる「良い子」でいないと、捨てられるという恐怖や危機感を常に持っていた。
捨てられることに対する恐怖や危機意識は、親以外に対しても持つようになっている。
安心していない。
認めて欲しい、無条件の愛が欲しい。
心理的な孤独感が強い。
この結果、人から遠ざかってしまったり(他人との境界設定がうまく出来ない)、自分の感情に蓋をしてしまったり(感情を表に出せない)してきた。
他人との境界設定がうまく出来ない。
また、捨てられる、見捨てられるという不安感から、
本当は近づきたいのに、深く近づいてから捨てられるのが怖いから、遠ざかったりしてしまうこともある。
逆に、甘えられると感じてしまうと、甘えすぎたりしてしまうこともある。
適切な距離感や力加減を掴めていない。。。
感情を表に出せない。
普通の人(健全な人という意味)は、自身の怒りや不安などの感情をある程度ストレートに表現できるのだと思う。
しかし、私は、うまく表に出すことは出来ない。そして、依存や自傷的な行為をしなければそれを抑え込むことも難しい。
自分の感情を表に出して周囲の理解を得られないと、やはり自分は受け入れてもらえないのだと思ったりする。そして余計に孤独になる。
なんとか生き延びるために、モノや行為に依存するようになる。
人と関わりから満足を得られなくなり、諦めたり絶望していく。
そして、限界の状態の時期に、何か(行為やモノ)のおかげで生き延びてしまったので、脳がそれを覚えてしまったのだと思う。
これ(その何か)のおかげで生き延びられた
→生きるためにはこれが必要
万引きするということだけをやめられても、孤独感は残っている。
もっと近づきたい(頼りたい、頼られたい、甘えたい、甘えられたい)、
でもそれが怖くて離れたい。
自身の中に矛盾がある。
矛盾を感じているし、対人関係がうまくいかないことをよく経験していて、孤独で苦しくなる。
最近やっていること
どうしたら良いだろうか。。。
自分なりに考えている。
1 自分が受けた愛情を掘り返す
2 新しい人間関係から愛情を感じるようにする
3 自分の存在意義を感じられるようにする(感じられることをする、感じられる場所にいる)など
1 自分が受けた愛情を掘り返す について
条件反射制御法の中で、内観療法というのをやるようになった。その中で「してもらったこと」を思い出す。
この「してもらったこと」について、より入念に取り組むようにしている。
ただ、なかなか思い出せないし、思い出してもそれに愛情を感じられないこともあるし、愛情を感じられてもまだ納得が出来なかったり・・・
でも、根気強く続けている。。。。
2 新しい人間関係から愛情を感じるようにする について
自分より目上で頼れそうな人を探した。犯罪のことを話しても、まだ見捨てずに相手をしてくれる人なら、相談しても大丈夫かもしれない。そう思って、恐る恐るだが、今まで話してなかったことを話したり、相談したりするように努めている。
しかし、あまえて良い相手と、あまりよくない相手がいて、そのあたりの判断が出来ていない。難しい。勇気を出してあまえた結果、支えてもらえないことになってしまうと、余計に自分が傷つくことになってしまう。。。
本当に難しい。
3 自分の存在意義を感じられるようにする(感じられることをする、感じられる場所にいる)など について
やはり仕事をすることが分かりやすいから、仕事はしている。その中で、存在意義を感じることをなるべくするようにしている。
そして、仕事以外でも、自分だからこそできる、と思えるようなことを考えてやるようにしている。
少しはよくなるのだろうか。。。
試行錯誤中。