他者承認欲求が強いと、苦しくなる。

承認欲求とは

 他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり・・・

ウィキペディアより)

 

承認欲求は大きく二つに別れる

・自己承認欲求

・他者承認欲求

 

自己承認欲求とは

 自分で自分を認めたい

  高次の承認欲求と言われるようである

 

他者承認欲求とは

 他人から認められたい

  低次の承認欲求と言われるようである

 

自分は他者承認欲求が強く、それが問題につながっていると思っている。

(完全に悪いというわけではなく、これに偏ると問題だという意味で)

他者承認欲求について考えてみる。

 

他者承認欲求とは、例えば以下のようなものだと思う。

・わかって欲しい

・褒められたい

・必要とされたい

 

また、以下のような欲求とも関連していると思う。

・優越欲求 他人よりも優れていたい

・自己顕示欲求 注目されたい

・対立欲求 ユニークな存在でありたい

・同化欲求 他人と共感したり感情移入したい

・救護欲求 愛されたい、慰めて欲しい

 

自分は他者承認欲求が強いと思う。

なぜそうなったのか・・・

自己承認ができないから、だと思う。自己承認できないので、自分がこの世に存在して生きていくための理由として他者承認が必要なのだと思う。

 

ではどうして自分は自己承認できないのか

無条件の愛ではなく、条件付きの愛、を受けてきたと感じて育ったからだと思う。

自分が貢献したり役に立たなければ、自分は存在してはいけない(生きていてはいけない)、他者から愛を与えられることもない、と感じるように育ったからだと思う。

 

 

自分は他者承認欲求が強いことは数年前に気がついた。そして、自分の精神の不穏につながっていると思い、問題点などについて考えてきた。

 

いい面もある

基本的には(表面的には?)とても「いい人」で、他人や周りに対してとても協力的である。優しい。

 

しかし、それは、他者から認めてもらいたい、という欲求があるからやっているのである。完全に無償の奉仕をしているわけではないのである。

悪どく、計算高く、私利を追求しているというわけではない。そして、純粋に他利や調和を意識しているのかもしれない。だが、やった後に「何らかの見返り」を求めてしまうのである。

 

こんな不満を感じていた。

・自分はこんなに献身したのに、あまり認めてもらえない。

・自分はこんなに我慢しているのに、他の人は我慢しないで好き勝手やっている。

・自分ばかりが割を食っている。損な役回りを演じてしまっている。

 

 

さらに言えば、何かをやった結果として、褒められたり感謝されたり持て囃されたりしても、虚しさを感じて終わることさえあった。

これって本来の自分なのかな。。。とか。

 

 

 

自分で承認できないから他者からの承認を求めている

自己肯定感が低い、という感じだと思う。

 

先述したが、自分の場合は、条件付きの愛しか感じられなかった、ということが深く関係していると思う。

 

 

自分が病的窃盗になったり、その他諸々の苦悩を抱えている背景には、この承認欲求が強く関係していると思い始めたのは、110ヶ月くらい前である。

それ以降、意識しているのは大きく二つ。

・他者承認を求めないようにする。

・ありのままの(どちらかというと、汚い、情けない面の)自分を、自分で認めようとする。

 

だから、あまり人にアピールしないようにしている。特に自身の成功とか自慢したいような長所などは、なるべく言わないようにしている。

 

でも、認めてもらいたい欲求はまだまだ強いので、言いたいし、褒められたいのである。まだ我慢している状態である。

まだ自己承認ができているわけではないし。。。

 

1年半くらい前に病院から退院して以降、散歩したりして神社や植物を見ることが多くなった。

そこで、思うようになったことがある。

・植物って、ただそこにいるだけである。

・花を咲かせ、タネを残し、子孫を残すだけ。ただそれだけ。

・自分の命が終わったら土に帰ればいい。

・生態系の中で、生まれて生きて死んで、それだけでいい。

・それでも生きていていい。それだけで生きている理由になる。

 

人間としてだと、もうすこし何かやりたいが、何もできないとしてもただ生きて死ぬ、それだけでもいいかなぁって。

 

子孫を残すとかもできなくても、死んだ後に土に帰ればそれでいいかなって。

 

かなり極端な考え方だと思うが、究極的にはそれくらいで考えればいいかなって思うように意識している。

思えているわけではない。気楽になるためにそうしようと努めているのである。

 

 

まだまだ、社会に貢献したり、人と接して存在感を出したかったりする。

それによって生き甲斐を感じたり、存在意義を感じたりしたい、という気持ちはまだある。

でも、以前よりは弱くなってきたと思う。

以前は、それだけが全てだった気がする。それができなければ生きていけない。みたいな。。。

 

 

自分自身もそうだが、他人を見ていても、

他者承認欲求が強くて、それが関係して苦しんでいる人がすごく多いような気がする。

他者が自分を承認するかどうかって、自分ではコントロールできないことだから、それを求めようとすると苦しくなってしまう。

 

そして、苦しくなって、精神が不穏になる。

不満や不平を感じるのである、そしてそれをうまく発散・消化することもできないので、自分の中に溜め込んでしまう。

 

自分の場合は、色々な問題行動へとつながっていくと思う。

だから、他者承認欲求をすこしでも抑えるようにしていきたいと思っている。

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