スリルとは少し違う感覚
万引きする理由は一つではない。
人によっても違うだろうし、自分の中でも一つではなく複数の理由がある。
よく聞く理由の一つ、スリルについて自分はどうなのか考えてみた。
(他の理由のことはまた別の機会に)
万引きをする理由として、スリルとか快感とかが関係していると言う人の話を聞くことがある。
また、警察や検察での取り調べの時に、
「スリルを求めてやってるんだろ」
って言われることも何度もあった。
スリルなんだろうか。。。
自分の場合には
スリルに近いものもあるのかもしれないが、やはり少し違う気がしている。
自分は、スリルって言うと、あまり深刻じゃないようなイメージを持ってしまう。
では、自分がいう、近いものって何なのか。
自分は、普段あまり生きている感じがしていなかった。
ただ生命活動は維持している感じだが、生きている実感みたいなものを感じにくかった。
だから日頃から、自分に強い刺激を与えて、その刺激を感じることによって生きていることを確かめるようなことをする癖があった。
心拍や脈を感じると、あぁ生きているんだなぁと実感していた。
(血が流れるのを見て感じるのと近いかもしれない)
筋肉にものすごく強い負荷をかける、とか、ダッシュをして心肺機能を限界まで追い込む、とか、運動して脱水症状ギリギリ(体調に異変が出るくらい)まで追い込む、とか、そういうことをよくやっていた。
万引きに話を戻す。
万引きで捕まると(万引きを始めて数年経ってからは)、逮捕され留置場に入れられ、さらに逮捕回数が重なると実刑確実みたいになっていた。
刑務所で服役していた頃、そこで過ごす時間は死んでいると思っていた。
そうなると、自分のイメージ的には、
「逮捕 ≒ 死」
みたいになっていた。
「万引きして捕まる → 死んだ」
「万引きして捕まらない → 生き延びた」
みたいな感覚があった。
万引きをして捕まらなかった時に、
「はぁ生き延びた」とか「今、生きている」みたいに感じるところはあったと思っている。
これをスリルと言うのならスリルなのかもしれないが、
自分はもっと深刻な、本当にギリギリの意識だったような気がする。
生きる死ぬみたいな感じ。。。
人生に絶望しているときには、特に悪化していたと思うが
やけになってるとか、投げやりになってるとか
そういうのとも違う。
生きてるのか、死んでるのか、を確認するというよりは、
死んでるような生活だったから、
生きているんだよな、ってことを確かめようとしていたような気がする。
他に確かめようがなかった。
こんな考え方は、おかしいと思うのだが、
当時、正常な状態ではない自分はそういう思考をしていた。
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