正直に話せたときの開放感 。隠しているときの辛さ、苦しさ。

正直に話すと気持ちが軽くなる。

(償いではなく、自己満足なのだろうと思っている)

 

逆に隠していると辛く苦しい。恐怖に怯える。

 

 

ばれるんじゃないか、ばれたらどうなるんだろうか、

考えても答えは出ないし、考えることができている訳ではなく怯えていることくらいしかできていない。

 

誰かの目を気にしたり、誰かがどう考えているか、ということについては

自分のコントロールの範疇を超えた問題で、何もできないのに・・・

だからこそ、ただ恐怖を感じて怯えることしかできない。

 

 

開き直りとは違うが、どんな処罰を受けたとしても(といっても死ぬわけではない)

例えば懲罰を受けるかもしれなくても

正直に隠し事せず、やってしまったことを打ち明けると不思議と気持ちは楽になる。

 

刑務所の中でもそういうことが自分には数回あった。

 

しかしその何度か、いずれも重い懲罰は課されなかった。

正直に言ったら許される、と言うのを狙ってやったわけではない。

 

あくまでも、結果として寛大な処分にしてもらえただけである。

 

罰が重くならなかった

ということだけでなく

隠し事をしたり、嘘をついたり、繕ったりしなくても良い。誰かの目を気にしたり、それに怯えたりしなくていい、

そのことで心が軽くなった。

 

これは、謝罪だとか償いとは別の問題だということはわかっている。

自己満足の問題だと思っている。

 

抽象的すぎるので、具体的なことを一つ書く。(刑務所でのこと)

・洗濯工場でアイロン担当だった時、作業事故を起こした。

 業務用のスチームアイロンを使っていた。長いコードがあったが、作業スペースの制約のせいもあり、絡まったりアイロンの熱い部分に接触しそうな危険を感じる毎日だった。

 とある日、作業中に担当のオヤジから急に呼ばれて担当台へ移動した。そのわずかな時間に、コードがアイロンに接触してコードが溶けて、断線して、工場のブレーカーが落ちた。

 ちょうどその時、工場統括が巡回に来ていて、工場統括もブレーカーが落ちたという異常に気が付いた。

 

 これについて、自分がやってしまったこと、自分のミスが原因での事故であることを、当初は言えなかった。

 でも、何らかの事故が起きてそれでブレーカーが落ちる事態になったのは明らか。原因は何か、誰が関係しているのか、その調査が始まった。

 

 もう、怖くて怖くてたまらなかった。その時、すでに反省文を提出後3ヶ月くらい経っていて、本面接待ちの状態だった。

 ここで懲罰になると、仮釈放に大きく影響する。そして、作業事故でも懲罰になるのである。。。。

 

 一晩中、どうしようか悩んだ。何かに怯え続けていてなかなか眠ることも出来なかった。明け方に、正直に言おうと決めた。懲罰になってもいいから正直に言おうと決めた。

 悪意があってやった訳ではない。ミスをしただけだ。それで懲罰を受けることになったとしても、誰に対しても恥じることはない、そう思えた。

 

 

 事故の翌日、調査懲罰になると思って荷物をまとめて、部屋や工場の同囚にもお詫びと挨拶をして、

 午前の休憩時間に工場担当のところへ行って、話をした。

 

 すると、工場担当からは、笑いながら以下のように言われた。

・何らかの事故が起きたこと、誰かが関係していることはわかっていたが、誰も申し出ないし調査のしようも無かった。。。

・黙ってればわからないのに、何でそんなこと話すの?バカじゃない?

・俺だったら隠してるよね。現行犯逮捕された訳じゃないし、話しても損する(懲罰を受ける)だけだし。

・でも、そういうところ、好きだよ。不器用だし損するかもしれないけど、個人的には好きだよ。

 

 結果として、工場担当は本件を握ってくれた。(調査も懲罰も何もお咎めなし)

 

これが工場担当ではなく、夜勤の若いオヤジとかだったらこうはならなかったと思うが。。。

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