捕まった時(発覚した時)まで言えない。自分から言い出せない。

今回は、万引きをしていたことを言えるかどうかについて考えた。

捕まったり発覚してないのに言う、というのはすごく難しいと思う。

自分は発覚した時に白状する、ということしか出来なかった。

 

万引きは犯罪だし、発覚したら罰せられると言うことはわかっているからだと思う。

だから、知られなくない。

でも、こんなに苦しんでいるんだと言うことを、誰かに知ってもらいたいような気持ちも少しあった。

誰に知ってもらいたいのか。それは分からない。

知っても罰するのではなく(罰があるのは仕方ないとしても、罰を受けるだけでなく)

問題の背景や本質について話ができる人、一緒に向き合ってくれる人。

そんな人に知ってもらいたかったのかもしれない。

 

自分にはそう言う人、見つからなかった。。。

 

 

自分は、高校3年の頃から、万引きを繰り返してきた。

万引きをするたびに毎回毎回捕まる訳ではなかった。

知られたくないけど、言いたいような、言えないような・・・

そして言えなかった。言わなかった。

 

捕まった時に言う。言うというか、認めるという感じ。

それまでは隠し続けていた。

捕まった時に、それまでに万引きしていたことも白状した。

それは、警察に対しても、店に対しても、親に対しても。

 

 

例えば、店に対して・・・

同じ店で何度も継続して続けた挙句に逮捕されるという感じだったので、

過去にどれくらいの頻度でどれくらいの量をやっていたのか、わかる範囲で(よりも少し多めに)言って、被害弁済などをした。

 

警察に対して・・・

とある1件で逮捕されるのだが、

それ以外にもどの店で、どのくらいの頻度で、どんなものを・・・白状した。白状して上申書を書いて。。。

 

隠していた事件が、後から余罪として出てきて再逮捕されたりすると、裁判が別れて、合計の刑期が長くなったりすることもある。

という打算的な考えもあった。

 

だが、隠し続けることはできないとか、心のどこかでは白状して楽になりたい、みたいなところもあった。

 

言った後に、

やっと言えた・・・

という何とも言えない開放感があった。

 

バレないか、バレないか、いつバレるのだろう・・・というのはすごく苦しい。

留置場にいる時、刑事調べや検事調べで、そういうことについて駆け引きみたいなことや腹の探り合いみたいなことをするのは本当に辛い。

覚えている範囲でしか言えないのだが、余罪についても正直に話せたあとは、すごく楽になる。

 

白状したからと言って、決して償いができる訳ではなくて、

白状することは自分自身の為だと思っている。

 

白状すると、その時点から再始動できるような、やり直せそうな気が少しする。

やり直すことはできないのだが、もう一度、やらない為に動き出せそうな気がする。

 

ところで、捕まらなくても、やってしまったらそのことを正直にいう、というのはいいことかもしれない。

ただ、あまりそれに慣れてしまうと、よくない気もする。

人には言えないこと、知られたくないこと、だからやらない。そういう抑止力もあると思うから。

 

言わないで一人で抱えて、状態がもっと悪くなることもあるから、

難しい問題だと思っている。

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