刑務所や拘置所にいた年月の累計

これまで中にいた年月(勾留、服役など)を確認してみた。

前科
 窃盗

  • 罰金50万
  • 懲役2年執行猶予3年(後に取消)
  • 懲役1年
  • 懲役1年2月

 常習累犯窃盗

  • 懲役3年

懲役刑の合計7年2月 うち、仮釈は実質約5ヶ月(合計約11月だが、後に6月分は取消)
拘置所合計約1年6月 うち、未決通算は約7月

拘置所と刑務所で合計約7年8月過ごした

 留置場で合計4か月以上過ごしたので
 
すべての合計で約8年

 

そして今回が

  • 常習累犯窃盗で懲役2年10月

仮釈放・・・どんなにもらえても2年半くらいは中にいると思う。
合計10年以上だよな。。。

 

もうこれを最後にしたい
もうやめたい

でも、これまでやめられなかったことを考えると、怖い。

何もしなければやめられない
適切な対策を見つけ、講じて、それを続けないと…

再犯をしてしまう恐怖、危機感は今もある。

 

炊場工場での一日

自分は2回目の服役で、炊場工場に配役された。

一言でいうと、受刑者のごはんを作る工場。

 

 

材料の入荷・入庫

出庫、調理

食事の運搬

運んだモノを回収する運搬

洗浄

・・・などがある。

 

始業と終業

 

出る方は3パターン

1番出(早出) 4時開始

2番出(普通出)5時開始

3番出(遅出  10時30分開始

 

帰る方も3パターン

1番帰り(早帰り) 11時終業

2番帰り(普通帰り)16時10分終業

3番帰り(残業)  17時40分終業

 

とある一日の流れを書いてみる。

早出、残業のパターンで書いてみる。

 

 

3時30分 1番出の起床

 目覚まし時計はない、職員が廊下側の窓をそーっと開けて、窓口から声も出さないで人差し指を立てる(1のサイン)。それだけで起床。

 2番、3番、免業の人たちがまだ眠っているから、静かに。。。

 この静かなサインで起きないと、他の人が起きて、自分を起こすことになる。

 そういうことは他の人に迷惑になり、あとで文句や苦情を言われたり、詰められたりするからしたくない。

 だから、職員が廊下を歩く気配を、就寝時間帯にも敏感に気にしながら眠るような半分起きているような、そんな感じ。

 気配があった、でも素通り。→あぁまだか。それを夜中に何度も繰り返す。

 

 起床したらそーっと布団をたたむ。洗面を簡単に済ませる。

 

3時40分頃 出役

 各部屋から1番出の人たちが廊下に出て、廊下に並んで、人数確認だけ済ませる。

 そして、工場へそーっと歩いていく。職員に連行されて。

 この時、頭の固い職員が連行する場合に、大きな声で1,2の歩調の号令を叫ん歩かされるときがある。他の受刑者たちは眠っているのに。。。

 

3時50分頃 工場に到着

 パンツ一丁になって検身を受けて、工場作業用の服、白衣などに着替える。

 

4時 始業

 整列して通し番号で人員確認をして、作業開始。

 他の工場の作業よりもものすごく肉体を酷使するから、炊場工場こそ準備運動が必要だと思うのだが、炊場工場は準備運動をしなかったらり、屈伸と伸脚だけとか、そんな感じ。

 

4時~5時の作業

 ・朝食を作る。

 ・前日の夕食の食器を洗浄をする。(食器の回収は前日の夕食後におこなってある)

 

5時~6時の作業

 2番出の人たちが出てきて、合流する。

 ・大きな窯で調理した麦飯やみそ汁などを、各舎房に届ける分ごとに分ける。

 ・各舎房に届ける分のお茶を作って、大きな容器に分け入れていく。

 ・分けたものをどんどん台車に積み込んでいく。

 

6時~6時30分の作業

 運搬

 ・台車に積み込んだ食べ物とお茶を、台車を引っ張って各舎房へ届ける。

 

6時40分~7時

 簡単な片付け

 

7時~7時10分 朝食

 

7時10分~7時30分 休憩

 各自休憩をする。

 ・食後の歯磨きをする

 ・新聞を読む

 ・爪を切る

 ・願箋を書く

 ・将棋をする

 ・しゃべる

 などなど

 

 

7時30分 改めて始業

 工場担当と工場副担当が来る。

 朝礼をして、工場の機械点検をして、始業。

 

7時30分~8時30分の作業

 ・舎房に届けた食器やみそ汁やおかずを入れていた大きな運搬用具を回収する。

 ・回収してきたものを洗浄する。

 ・昼食用の食事の材料をそろえる。米や麦を研いだりする。

 ・各工場の午前休憩用のお茶を作る。

 

8時30分~9時30分の作業

 ・昼食用の麦飯を炊いたり、おかずや汁物をつくる。

 ・お茶を各工場へ運搬する。

 

9時30分~9時40分 休憩

 各自休憩

 ・お茶を飲む

 ・用便を済ませる

 ・しゃべる

 できるのその程度

 

9時40分~10時40分の作業

 ・大きな窯で炊きあがた麦飯やおかずや汁物を、各工場(その人数に応じて)ごとに分けて、運搬用の容器へ入れる。

 ・昼食用のお茶を作る。

 ・台車へ積み込む。

 

10時40分~11時40分の作業

 昼食の運搬

 ・上で積み込みをした食事とお茶が乗った台車を引っ張って、工場へ届ける。

 

11時40分~12時の作業

 簡単な掃除など

 

12時~12時20分 昼食

 

12時20分~13時 運動

 運動着(普通の工場の作業着)に着替える。

 運動場へ行く移動、運動場から工場へ帰る移動の時間が5分ずつあるので、実質は12時25分~12時55分が運動。

 

13時~14時の作業

 朝食の後の1時間の作業と同様。

 (7時30分~8時30分の作業)

 

14時~15時の作業

 5時~6時の作業と同様。

 (夕食は朝食と同様に舎房で食事なので)

 

15時~15時20分 休憩

 

15時20分~16時00分の作業

 運搬

 ・各舎房へ夕食を運搬する。

 

16時~16時10分の作業

 簡単な片付け

 

16時10分 終業

 整列してあいさつをして作業終了

 

 40人で作業していて、そのうちの20人は終了なので、入浴して舎房へ帰る。

 舎房に帰って、舎房で夕食を食べる。

 

16時10分~16時40分 夕食

 残業があるので、工場で夕食を食べる。

 

16時40分~17時10分 入浴

 風呂から上がったら、また作業着を着る。

 

17時10分~17時40分

 舎房へ届けた食器などを回収する。

 

 

17時40分 終業

 整列して通し番号をとって、

 着替える。(入浴後に作業して汗だくになるが、もう入浴させてもらえないので、べたべたのまま)

 

17時50分頃 還房

 あとは余暇時間

 

18時 テレビ視聴開始

 テレビが付くから雑音がうるさくなり、読書や勉強、考え事に集中しづらくなる。

 

20時55分 就寝

 

 

結構バタバタ。。。

今は、死ぬことよりも生きていくことを 考えている・考えようとしている。

罰金刑の次、懲役の執行猶予になって
執行猶予中に再犯して留置場・拘置所にいる時は死のうと思って色々やった。

 

どんなところかもわからない刑務所への不安と恐怖。

やめたくてもやめられない万引き。

万引きをして周囲に迷惑をかけることの申し訳無さ。

こんな迷惑ばかりかけて、しかも自分自身が得しているわけでもない(喜んでいるわけでもない)ので、自分が生きていることで誰も幸せにならないし、害しかない。

そういう存在の自分に耐えられない。

などなど色々あって。。。


でも死にきれなかった。

痛みや苦しみに耐えられなくて、死ぬところまで行けなかった。

 

それ以降も何度も逮捕されて刑務所へ行くことになっているが、

今のところ、死のう、として何かをしたことはない。

 

ただ、生きていたくない、消えたい、みたいになることは何度もあった。

 

生きていたくない・・・

 食べるのも、動くのも、汗をかくのも、喉が渇くのも、トイレに行きたくなるのも、あらゆる生理現象がとまればいいのに、みたいに。。。

 

消えたい・・・

 どちらかというと、自分の力で消えることはできないし、消してもらいたいと思っていた。自分がいることも、これまで生きていたことも、すべてなかったことにしてほしい、みたいに。。。

 

刑務所の中にいる時は特にこういう思考になることが多かった。

 

2年前くらいに入院治療を始めてからは、こういうネガティブな思考になることはだいぶ減ったし、一回一回の沈み込みも弱くなった気がする。

 

なんとか良くできないか。。。

この先を普通に生きていけるようにしたい。

そんな考えをするようになってきた気がする。最近は、なっている気がする。

そんなにめちゃくちゃ良い生活をしたいみたいな高望みではない。昔のような仕事や生活をすることを目指しているわけでもない。

とりあえず、万引きをしないで、なんとか娑婆で、心穏やかに、自分なりに幸せだと思う生き方ができればいいなぁとか、そうなるようにしたいっていう気持ちがある。

 

もう少ししたら収監されて、服役が始まるが、

今後の人生をよく生きられるように、そういう精神状態でいられるように、気を付けてすごしたいと思う。 

万引きのスイッチ、回路

万引きのスイッチ(その他の問題行動も含む)

 

人によって色々あると思う。
身体的な変化、精神的な変化がスイッチになることが多いとは思う。

 

だが、自分はどうもそれには当てはまらないような感じがしていた。
習慣的に、漫然と、特に何も考えずに(考えられずに)やっていたように思う。

身体や精神が何かの刺激を受けて、脳の神経回路を通らずに、反射的に行動するという感じだった気がする。

 

 

ただ、この刺激を受けた、ということも、自分はあまり自覚がなかった。
特に大きなことではなくても、万引きにつながる刺激となりえていたような感じだからである。

日常生活で五感のいずれかで感じる何かの刺激の多くが、万引きと紐づけできていて反射的な行動になっていたような気がする。

 

 

また、自分は10歳前後の頃から、自分の感情を押し殺して生きてきたようなところがある。
感情を出してはいけなかったというのもあるし、

辛いことや苦しいことを一つ一つ味わっていたらそれに耐えられそうにないから、

蓋をしていたようなところもある。

まぁそんなことを長年つづけてきたせいか、自分でも自分の感情がどうなっているのか、よく把握できなくなっていた。

今は苦しいのか?辛いのか?
その時その時、ちゃんと感じてそれに対抗したりしないまま、

いろんなものを体の中にため込んでいたと思う。

 

 

そして、長年かけて不満や不平などを蓄積していったせいで、

それらは体のなかにいつでも慢性的にある感じになった。

その感情と万引きが長年かけて強固に結びついていったような気がする。

少しその回路に触れただけて発動するような敏感さもできていたと思う。

 

 

 

直情的に万引きをする、という感じではなかったが、
精神的に、常に淋しさや孤独感、不満や不平、飢餓感はあったと思う。

 

 

この回路につながる条件は生活の中に多数あった。

長年かけて、生活のあらゆるものを十分条件にしてしまっていた。

生活のなかの習慣的なものなので、知らず知らず自覚がないままに、

という感じが多かったと思う。

 

 

補足
反射的に万引き行動をすると書いていたが、
最近とある医師からは、
井川さんは、反射的に今の人格から解離して、解離した状態で万引きをしている
と診断された。

自分なりの条件が揃うと解離して、万引きしてしまうらしい。

自分でもそういう感じがしている。

 

 


その条件に、自分の精神的なモノや感情がすごく関係していると思う。

治療を初めてから取り組んできたことがある。
  自分の心や体の変化をよく観察する

 

とにかくよく分析して、その結果を受け止めるのである。
分析しないまま、さらーっと万引き行動にまでつなげることが出来ない環境で(閉鎖病棟で)、ひたすらひたすら分析した。
一日に10時間以上とかを、数週間に渡って繰り返していた。

 

 

普通の生活ができるようになって、
治療を続けているうちに変わってきたと思うことがいくつかある。
何かの感情と、何かの行動の紐づけが解消された。
感情は感情。
辛い、辛い、苦しい、苦しい。以上! みたいになった。

 

そして、次第に、辛いとか苦しいとかいうことをなるべく回避するようになった。
自分にとって楽でいられる状態を作るように努めるようになった。

 


なので、
昔より嫌なことや苦しい頃は、しないようにしている。

そして、今でも嫌なことや苦しいことがあるが、

それはそれとして、何かの行動とは結びつけないで、ただそれを感じるだけにしている。

 

 

他方で、好きなこと(例えば運動とか、空や樹木、緑や花、神社など)との接触を増やした。
条件反射制御法のおまじない(制御刺激)を空や樹木を見ながらやることで、

空や樹木が同じないと結びついてきたと思う。

 

 

何かモヤモヤしたりつらいなぁと思いながら、

散歩したり走ったりしている時に
視界に空や樹木が見えてくると、何となくそっちに気が移って、

そっちに夢中になって、モヤモヤが軽くなったりそのことを考えていたことを忘れたりする。(ちょっとバカみたいに聞こえるかもしれないが)

 

 

万引きのスイッチを押さないようにしたり、
過去にあった回路を断絶するようなことが、
すこし出来ているのかなぁと思っている。

そんな感じで、最近はすこし平穏に生活が出来ている気がする。

 

万引きしないためにしていることって・・・

これをよく考えるのだが、結構難しい。

「万引きをしないためにしていること」とりあえずここでは「防止策」と書く。

 

どうして難しいと思うのかというと

「防止策をしていることで万引きをやめられた」

なのか

「万引きをしないから防止策が出来ているのか」

がわからないのである。

 

 

店に入らなければ万引きをしない。

それは当たり前なのだが、そんなことをやろうとしても、数日とか数週間しか持たなかった。

 

防止策って結構当たり前のことで、そんなことは頭では分かっている。

だが、その当たり前のことが出来ていないで万引きをしていたのである。

病的窃盗の状態が酷く悪いときには、その防止策をすることがそもそも出来ていなかったのである。

それが出来れば苦労は無い、くらいに今でも思う。

だから、状態が悪いときにその防止策だけを「しようとする」だけでは、万引きをやめることは出来なかった。防止策を実行することすらできなかったのである。

 

 

防止策って・・・

たとえば

・不要な場合には店に入らない

・ポケットのある服を着て店へ行かない

・店へ行くときは誰かと同行してもらう

・バッグを持って行かない

・目立つ格好をする

・店員に声を掛けたりする

・指輪をするとか手首にお守りをつけておくとか(万引きをする(商品を手に取る)ときに、自分の視界に目印が飛び込むようにする)

・帰宅時に荷物チェックを家族にしてもらう

 

また、状態が悪いときには、これらの防止策ををやったとしても、どうにかして抜け道を探して作り出して、何としてでも万引きをしていた。

 

自分の場合には、条件反射制御法の治療をすることで、状態を少し安定させることが出来た。

その治療を継続して状態を悪化させたり不安定にならないように維持をしながら、さらに、自分がより安全になれるために幾重にも防波堤を作るような感じで防止策を考えて実行している。

 

そして、そのうち、その防止策をあまり意識せずに出来るようになってきている。

一番大きなことといえば、店に行く頻度が減ったと思う。

以前は、コンビニとかドラッグストアが目に入るたびに、何を考えるわけでもなく(何が欲しいとか、何かを盗ろうとか考えるわけでもなく)ただふらふらーっとぼーっと足や体が店へ向かって入っていき、そして少し気になった目を引いたものを持って(盗って)そのまま店を出ていた。

 

最近は、店が視界に入っても、店の前を通っても、用が無いときには店に入らない。

入ろうとしていない自分に、最近気が付いた。

 

何故なのか・・・

条件反射制御法の治療で入院するようになってから、「店は危険な場所」みたいな感覚を抱くようになった。

治療をすすめているうちに、

自分にとっては、万引きをするのが楽しくてやっていたわけではないし、やっていること自体が辛いし、やっている最中の心も体も辛い状態だったということに気が付いた。

 

そういう「自分が辛くなる場所」は少し大げさな書き方をすると「生命の危機」みたいなものを感じる場所なのだと思う。

用が無いのにわざわざ危険で苦しい思いをする場所へ行くことはしない・・・という感じになった。

 

用がある時には、その用件(買い物をするとか、コピーをするとか、何かものを確認するとか・・・)を果たすことだけを考えて実行する。

用が無いときには、むしろ少し避けて敬遠して素通りする。

そんな感じになったのかなぁと最近気が付いた。

 

 

脳神経や条件反射的な問題、認知の歪みの問題、・・・色々あって、

色々が複雑に強固に結びついて、酷い状態になっていたのだと今でも思う。

 

今後もし治療をしなければ、

また酷い状態に戻って万引きをするようになるだろうという危機感を持っている。

そうなった時に、店に行かない、などの防止策を実行しようとしても、実行できないだろうと思う。

そうならないために、自分は条件反射制御法の治療を続けたいと思っている。

 

KAに通ってよかったと思うこと

自分はKAの存在を知ったのは、逮捕されてもまだ起訴猶予の処分で済んでいたころで、

20年弱くらい前だと思う。

 

そのころ、KAへは一度も行かなかった。

 

行かなかった理由。(今にして思えば、その考えはオカシイと思っているが、当時はそう思っていた、ということも含めて

・犯罪者の集まりに行って、犯罪者達と関わりたくない。

・窃盗する言い訳とかをして、傷の舐め合いのようなことになるのがイヤ。

・自分が、窃盗症とか病的窃盗とか、そういう精神疾患だということを認めらられない。

・他の犯罪者達と自分は違う。一緒にされたくない。一緒になりたくない。

・そういうところに通うより、仕事が優先。

などが主な理由

 

 

一昨年、下総製診療センターに入院して条件反射制御法の治療をして、

退院してからは、再犯防止などに対する自分の意識が高まって、

KAにも行ってみようと思って

初めて行ってから、通い続けるようになっている。

 

通っていて良かったと思うこと。

・同種の問題を抱えた人が現実にいて、同種の悩みを抱えながら、懸命に生きていることが分かる。

・自分の頭のなかのことを、言葉で外に出せる。

・生身の人間が聞いてくれていることが分かり、ノートに書くのとは少し値がった感覚がある。

・他人の話から、考えるヒントや刺激をもらえたり、新しい発見があったりする。

・自分の足を使って体を動かして会場へ通うことで、再犯防止に向けて取り組んでいる実感を持ちやすい。

 

などなどがある。

 

そして、最近感じるようになったことがもう一つ。

他の参加者では、3年、5年、8年、10年・・・それ以上と、長年窃盗をしないで過ごせている人もいるようである。

・そうなることが出来るという希望が持てたり、そうなることを目標とするような前向きな気持ちになれる。

・長年窃盗をしていなくても、再犯に対してすごく危機意識を持っている人の姿を見ると、自分も治療などを優先する意識が強くなる。

みたいなことがある。

 

そして、以下のような効果があり、それが再犯しない取り組みへの意識付けになる。

・数か月とか、1,2年だけやっていない時期があっても油断はできないと気が引き締まる。

・自分は病気である。病気の当事者である。その自分が危ういということを何度も再確認して、治療が優先、自分のことが優先だという意識を何度も確かめられる。

・窃盗以外の問題行動、根底にある問題への意識も強くなる。

・行動だけでなく、考え方などについても見直したりするきっかけになる。

 

 

自分は状態がかなり酷かったと思う。

条件反射制御法の考え方でいうと、(万引きすることへの)条件付けや本能の力が強すぎて、理性では制御できなかった。

先に条件反射制御法の治療をして、反射連射や本能の力を抑制したのが良かったのだろうと思っている。

条件反射制御法を先にやって、それから維持ステージの治療と合わせて、このようなグループミーティングをするのは良いと思っている。

 

 

 

 

自分にとっての運動の意味

自分は運動が好き、というか、よくやるのだが、

どういう意味があるのか考えていると、大きく3つあると思っている。

1 純粋な意味での運動 

2 精神面のコントロール

3 習慣・依存

4 自傷

 

 

それぞれを少し細かく書く。

 

1 純粋な意味での運動

 カロリーの消費、筋力の強化みたいなこと

 

2 精神面のコントロール

 

 2-1 考え事をする

  呼吸が乱れない程度の軽めの運動(散歩したり、ゆっくりジョギングするくらい)をすると、考え事をするのにちょうどいい。

  悩みなどについて考えたり、自己分析をしたりするのに良くて、アイデアが閃いたりもする。

 

 2-2 考え事をしない、心を無にする(瞑想的な意味合い)

  呼吸が乱れて苦しい運動(少しきつめに走ったり、筋トレを長め続ける)をするのが、自分は好き。

 苦しい状態を続けながら、なんとか呼吸を整えていく。自分の呼吸や心拍が乱れているので、それを整えなければ苦しい(死ぬ?)ので、とにかく呼吸や心拍、筋肉に集中して整えていく。そのうち、自分の体に意識が集中して、無心になれる。

 こうして無心になれると、当然その瞬間は悩み事などからも解放されているので、気持ちが楽になる。

 

3 習慣・依存

 ずっと続けてきたことなので、習慣として続けたい。

 習慣を崩すと落ち着かない、怖い、など。

 依存体質なんだなぁと思う。 

 

4 自傷

 日頃は生きていることを実感しにくい。

 極限まで限界まで筋肉や心肺を追いこんで苦しみを感じることによって、生きていることを確認するような感じ。

 

最近、4の意味合いは少し減ってきた気がする。

だが、また精神的に苦しくなると4の意味会いも強くなる可能性がある。

 

自分は学生時代は、運動部に所属していたから、

うまくなりたいとか、レギュラーになりたいとか、試合に勝ちたいとか・・・

もう少し単純な理由で運動していたようなきがするのだが、

なんかあれこれ考えてしまっている。

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